倉永美沙さんプロフィール、経歴
出身地:大阪府。
身長:156cm
生年月日:1987年 32歳
出身スクール:地主薫エコール・ド・バレエ
留学先:サンフランシスコバレエ団
7歳からバレエを始め、多くのコンクールで金賞に輝き、天才少女とも呼ばれました。
17歳の時、第29回ローザンヌ国際バレエ・コンクールでプロ研修賞を受賞し、サンフランシスコ・バレエ団の研修生になります。
その後、NYの NYCB(ニューヨーク・シティ・バレエ団)の附属のスクールで学び直し、19歳の時、ボストン・バレエ団のオーディションに合格し、プロの道が開けました。
2001年、第9回モスクワ国際バレエコンクール金賞(女性ジュニア部門日本人初)。
2006年、ジャクソン国際バレエコンクール金賞(女性シニア部門日本人初)。
2009年、バレエダンサーの最高位であるプリンシパルへ昇格(ボストン・バレエ団)。
2017年、バレエ界のアカデミー賞と言われるブノワ賞にノミネート(「海賊」と「オネーギン」)を踊ります。
2019年、プリンシパルとしてサンフランシスコ・バレエ団と契約するという快挙をなしとげます。
倉永さんのあだ名は、トレーニングマシーン?
地主薫エコール・ド・バレエの主催者である地主さんが、インタビューで語る。
美沙さんは無類のレッスン好きで、レッスンが終わった後の自主練も、誰よりも沢山しているのでは?と思った。そして皆から(トレーニングマシーン)とあだ名がつき、ただ美しいだけでなく、身体的特徴(あまりに小柄である)をも乗り越えるほどの努力家なのだということが、よくわかるエピソードがある。
その成果が認められ倉永さんの確かな乱れを知らない回転の技【ピケ。シェネ】は、
永遠に回転できるかの如くだと定評があります。
また早くなればなるほど正確で優雅、
という技を体現しています。
また小柄であることはコンプレックスではなくなり、いつまでも少女の様であると
その可憐なしぐさなどは、個性のある魅力へとなっていきました。
倉永美沙さんはこのCMで知名度がアップしました。
CMでは、美沙さんの努力の軌跡が美しく表現されています。
「身体的特徴は仕方ないと諦めるのではなく、努力と技術でそれを乗り越えたという事実が尊い。」
美沙さんのその熱情に心打たれますね!
倉永さん【情熱大陸】に出演
2019年にプリンシパルとしてサンフランシスコ・バレエ団と契約するという快挙が
現在バレエ界では、話題となっております。
そのことを中心に、エールを送る意味もあり番組で倉永さんが取材されます。
2019年倉永さんは大きな転換期を迎えたと言われます。
元々アメリカボストンバレエ団で16年間在籍して、プリンシパル(最高位ダンサー)まで
上り詰めた倉永さん。
しかし今回契約が交わされたバレエ団は、17歳の頃、在籍すら正式に契約が交わされなかったのです。
そのアメリカ最古の超名門のサンフランシスコバレエ団
12月クリスマスにちなんだプログラム「くるみ割り人形」でプリマを演じます。
番組は、その倉橋さんの第2のバレエ人生スタートに密着します。
倉永さんの問題児で有名な幼稚園時代?
倉永さん【私の人生のテーマは自由】と語ります。
クラシックバレエの様に厳格な形がある舞踊を目指された倉持さんの
自由とは何を指しているのでしょうか。
倉永さんは、幼稚園時代のご自分の内面をあるインタビューにて語っていらっしゃいます。
「幼稚園にてじっと座ってられない感情が沸き起こり、広場で走り回ったり
しょっちゅうしていました。
どうしてそこで?という疑問が絶えずあった」と語っています。
当然、問題児となり名前はすぐに覚えられたそうです。(*^^*)
また、何か興味があるとそこへ行ってしまうという衝動にかられ、
簡単に消える子だったようです。( ´∀` )
家族でデズニーランドへ行った話が凄くて、親は4,5歳の子供がいなくなれば当然アナウンスで探します。
その時に倉永さん、偽名をわざと保護警察の方に言ったそうです。
「見つかりたくなかったのでしょうか?」と思い出を語っていました。
お母さまは、このありあまったった好奇心と体力を消耗させるのに
習い事を沢山やらせらそうです。
ピアノ、新体操などなど。
最終的に倉永さんは、いまだに意味は分からないが、バレエは何故か辞めたくはなかったと語っています。
やりたいと思ったことは、突き進む性格であったと幼少期から7歳までの事を語っています。
7歳ころ、バレエ教室ではプロ養成所的なクラスを創設してくれたことが
倉永さんは良かったといっています。
7歳ころから17歳まで週5回稽古に通う毎日だったそうですが、全く苦にならずにレッスン三昧だったそうです。
お母さまは、納得いけば自由にさせてくれたそうです。
自由にさせてもらえるのが人間として最高の幸せではないかと倉永さんは当時を振り返り語ります。
そしてそうさせてくれた両親へ感謝の言葉をインタビューにて贈っていました。
まとめ
アメリカでは倉永さんの様なコンクール優勝者でも、プロとしてやっていくことの
厳しさは想像をはるかに超えていたと語ります。
現在の倉永さんでも挫折の時はあり、20代前半の頃あるバレエ講師からの
「アメリカのバレエ団体には入れないと思う」と言われます。
しかしこの言葉を撤回して、研修生として研鑽を積み、見事大輪の花をさかせます。
この厳しい言葉をバネにできるからこそ倉永さんの現在があるのです。
最後にもう一つ座右の銘を載せて終わりとさせていただきます。
倉永美沙さんのモットー
「人生は一度しかないので、どうエンジョイして生きていけるか。
私にはバレエしかないので、これに賭けるしかない。
楽をするのとは違って、楽しむための努力、人生をより良くするための努力。
人生をエンジョイしたいです。
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