狂言師の善竹(ぜんちく)富太郎さん死去。人間国宝一家の後継者、
狂言師善竹富太郎さんが、40歳の若さで亡くなられました。
善竹富太郎さんのご逝去の報に接し、心から哀悼の意を捧げます。
4月30日午後7時54分に新型コロナウイルス感染に伴う敗血症
の為、渋谷区の病院にて死去というニュースに大変ショックを受けました。
ご本人の無念は勿論のこと、ご家族の悲しみを思うと言葉がありません。
富太郎さんの曽祖父【善竹彌五郎】さんは狂言界で初の人間国宝です。
富太郎さんはその意志を継ぎ狂言を愛し、普及活動に尽されていた
だけに残念でなりません。
本当に明るくて、若き狂言師善竹富太郎さん。
その功績は偉大です。経歴をたどってみました。
善竹富太郎さん死去の報道
【善竹富太郎氏40歳死去 コロナ】https://t.co/lmpsNYetr2
大蔵流狂言師の善竹富太郎さんが4月30日午後7時54分、新型コロナウイルス感染に伴う敗血症のため東京都渋谷区の病院で死去した。40歳。
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) May 1, 2020
けんさん、悲しすぎる!
— 善竹富太郎 (@tommykyogen) March 30, 2020
3月末に死去された【志村けん】の死についてツイートされております。
お笑いが大変好きだった富太郎さんです。
4月7日までツイッターを更新されていています。
その後富太郎さんは、感染が判明したのですね。
隔離のためにアパホテルにて療養していたとありますが、
様態が急変したのでしょうか。
若くても予測がつかないところにコロナウイルスの恐ろしさがあります。
志村けんさんも重症化のスピードが早かったです。
富太郎さんは敗血症で死去とあります。
これは感染症が原因で起こると資料にあります。
コロナのたちの悪い面をニュースで知るたびに恐怖です。
気をつけていても予期せぬことが起こる。
こんな悲しいことはありません。
本当に他人事ではありません。
[ad]善竹富太郎さんとはどんな人。
プロフィール
本名 茂山富太郎(しげやまとみたろう)
生年月日 1979年8月10日
学歴 学習院大学・文学部心理学科卒
祖父故善竹圭五郎、父・善竹十郎に師事。
ご自身の狂言への思いをブログで述べています。
狂言は「お笑い」である。
狂言は室町時代から伝わるコメディ。
そんな狂言は、日本を代表する伝統芸能。
お笑いのM-1や漫才と同じ‥
3才より稽古を始め、5才の時に狂言「靭猿」(うつぼざる)
の小猿役で初舞台を執り行う。
狂言師の家の者は学校を休んで狂言の公演に出演しているという
イメージがありますが、東京善竹家は祖父や父が学業優先の為
伸び伸びと学校生活を送る事が出来、狂言の世界にも抵抗なく入って
行くことが出来たと富太郎さんは語っています。
狂言師として能楽堂で演じることが多く、その傍らで学校狂言と称して
全国の小・中・高校で狂言を見せてくれていました。
その他幼稚園やそれぞれの地域の人達に、狂言レクチャーをしたり
カルチャースクールの狂言講師、また学習院大学や早稲田大学など
各大学で狂言を指導し、昭和音楽大学では講師としてミュージカル学科の
生徒達に狂言を教えていました。
また善竹富太郎さんの伝統文化への功績は
こんなポリシーから成り立っていました。
現在、日本人は狂言という”日本人”が生んだ・”日本人”に合った、
”日本人のため”の伝統芸能、伝統文化を知らずに生きています。
もちろん、知らずしても生活に何ら支障はなく生きてゆくことはできることでしょう。
ところがこの文化、伝統というものは今現在生きている人々がそれを知り、
理解し、感じる心を持たなくては滅び消えていってしまうのです。
そこで私はひとりでも多くの日本人の方々にまずお笑いである狂言を知って
いただき、その中に多く含まれている日本の作法、様式、表現、発声などを通して、
心も顔も笑顔でハッピーになりながら日本人の心を再認識していただく
「1億2千万人総狂言化計画」に力を注いでおります。
そう、狂言は「心・生活のサプリメント」なのです。
ぜひ、あなたを笑顔にする狂言を私と一緒に楽しみましょう。
何よりも狂言の未来を案じていました。
「大蔵流 善竹弥五郎家 家系図」